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子育て科学アクシスブログ


夜と霧

皆様こんにちは、成田です。

 
先日、ある初対面の方(Kさん女性、推定30代)とお話しをしていて、その方が高校生の時、医学部受験を目指してた、という話になりました。その動機が「フランクルの『夜と霧』を読んで感激したので…」だそうで、高校生であの本を読みこなせるって凄い!!とびっくりしてしまいました。

 
なので、その日の夕方早速本屋さんに行き、遠い記憶の彼方に「難しかった」という印象のみ残る「夜と霧」を探しました。

そしたら、素敵な新訳が出ていて、即刻買い求めました。とても読みやすく、装丁も美しく、あっという間に読み通すことができました。さすがに今は、すべてを理解することができました。年を重ねたメリットです。

 
読まれた方も多いと思いますが、一言で言えば悲しい本です。

ですが、その抗えない運命の中で、自分ができることを懸命に探し、強靭な精神力で思考を巡らし俯瞰的に自分の立場を考察する。

科学者として求められるべきその態度が、これほどまでの極限状態で実現できるだろうか…?

正直、自分にはきっとできないだろうと思ってしまいます。

 
一緒に収監された妻も両親も、どこでどうしているかわからない状況のなかで、彼は次のような内容の事を考察するのです。

「愛する人が側にいてもいなくても、さらに言うならもはや生きていようといまいと精神では時間空間を越えていつでもどこでもつながれる。人生のどこかの時点でその人と出会った記憶だけで、私たちは生きていけるのだ。」と。

 
今本が手元にないので正確ではありませんが、私は今回「夜と霧」を再読して一番この部分に感銘を受け、号泣しました。

人生も後半に差し掛かりますと、一緒にいたいと思う人と一緒にはいられないことも、一緒にいたいと思う人が先に逝ってしまうことも、ままあることを痛感します。底深い悲しみに包まれることも多いものです。

 
この本は、そんな私に勇気を与えてくれます。

生きていること、思考を止めずに精神を保つ努力を怠らないことの重要さを教えてくれます。その努力こそが、私たちが悲しみから脱出し生き延びるための根幹的なエネルギーであるということを教えてくれます。言い換えれば、人にとって、生きるためにとても大切な時間とは、孤独の中で「人を想う時間」を確保することなのだ、と言うことです。

 
孤独に生きる勇気をもらえるこの本を、再び手に取るきっかけを下さった、Kさんに感謝!です。

 
成田 奈緒子