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子育て科学アクシスブログ


ぼくは、がんばりません

皆さんこんにちは、成田です。

 
先日朝8時台のバスに乗ってました。

後ろの方の席に座っていたのですが、ふと、最後列に乗っている若い人がなんだかぶつぶつ言ってるなあ、と気づきました。振り返ってみると、特別支援学校の制服を着た高校生と思しき男子でした。

緊張した面持ちで、手にはノイズキャンセルのためのヘッドホンを持っていて、そういえば今日は9月1日、学校が始まる日なんだなとわかりました。

 
しばらくして、だんだん彼の声は大きくはっきりと聞こえるようになってきました。

 
「ぼくは、がんばりません」

 
そう、言っていました。

 
「ぼくは、がんばりません」

「ぼくは、がんばりません」

 
何度も、何度も、はっきりとそう言っています。

 
そして、特別支援学校の最寄り停留所に到着して、彼は降りていきました。

気づかなかったのですが、少し前の列にお母さんと思しき女性が座っていて、その方も一緒にバスを降りました。

 
車内から見ていると、彼はヘッドホンをしっかり頭に装着し、降車したその場に固まってしまっています。その彼よりも20㎝くらい背の低いお母さんが一生懸命話しかけて手を差し伸べて、学校へといざなおうとしていました。

 
「さあ、頑張って学校に行こう」

「頑張って学校に行ったら何かいいことがあるよ」

「頑張って学校に行けたら、あとでゲームソフト買いに行こうね」

 
もちろん、そのお母さんが何を言っているかは聞こえませんでしたが、私はこんな場面、こんなお母さんたちの言葉を何度も見聞きしたことがあります。

それらが正論であることは否めないです。

しかし、それを、ほかに頼る大人がほとんどいない子どもが、一番大切に思い慕っている大人から繰り返し伝え続けられたら。

その大人の言葉に従いたい、喜ばせたいと熱望してはいるけど、でも一方で、その子が学校や世界や他の人たちに対して、たとえようもなく大きな不安をどうしようもなく抱えていて、頑張っても頑張っても足がすくんでしまうような状況だったら。

 
混乱

不安

緊張

絶望

 
そのすべてが集約され、絞り出された言葉が

「ぼくは、がんばりません」

だとしたら。

 
・・・今でも、私の耳には彼の声が焼き付いています。

 
そしておりしも、今日本ではパラリンピックが開催されています。

彼らの「頑張っている」姿は同じような障害のある子どもを育てているお母さんお父さんにどのように映り、それがどのように今後の子どもたちへの言葉かけに影響するのでしょうか。私はちょっと怖い気がします。

 
もちろん私は、自分自身で思索した末に「障害があっても頑張る」道を選択し、自分の限界まで鍛えぬき、耐え抜き、戦い抜き、世界の舞台で輝いていく競技選手たちを心から素晴らしいと思っています。

 
でも一方で、「ぼくは、がんばりません」と言える子どもたち、もしくはその言葉すらも言えずに、代わりに体やこころの不調で体現している子どもたちも、否定をしてほしくないと強く望みます。

 
本当は、障害があったってなくたって、大人だって子どもだって、みんなみんな「ぼくは、がんばりません」と言いたいのです。それが当たり前なんです。

ちなみに私なんか、しょっちゅう言っています(笑)。

大人ですから、頑張らなければならないときには全力で頑張りますが、ずっとずっとは絶対に無理です。疲弊してどうしても頑張れないときがめぐってきます。その時は、「もう、お休みします」と宣言して、いっぱいこころとからだを休めて、エネルギーチャージして、「ちょっと頑張れるかも」って自分の中の言葉が語りだすまで、じっと待ちます。

そうしなければ、毎日毎日延々と続く生活をやっていけません。

一生頑張り続ける人間なんてありえない、と私は思います。

そのことを、なぜか大人は忘れています。そして、特に子どもに対しては「休まず頑張れ」と言いたくなりがちです。

 
「ぼくは、がんばりません」とちゃんと伝えている子どもに「そうだよね」と寄り添う心を大人が持ってくれたら、そして大人自身も「ぼくも、がんばりません」と堂々と言えるようになったら、

 
混乱

不安

緊張

絶望

 
から日本中の人がもっともっと解放されるような気がします。

そして、頑張らないでいると、新しいアイデアや頑張るエネルギーが湧いてきて、日本はこの混迷期から脱却できるような気がします。

 
成田 奈緒子