お問い合わせはコチラ

子育て科学アクシスブログ


おやじと呼ぼうとした話

上岡です。
小学校高学年の頃、母は私を「ゆうちゃん」と呼んでいました。
友達から家に電話が入り、その電話に出た母が「ゆうちゃーん、電話よ」と私を大声で呼ぶのも日常の風景でした。
が、その日は、大人びた女友達からの電話で、翌日の学校で「上岡って『ゆうちゃん』って呼ばれてるんだ」と言われたとき、私の中でアラームが鳴りました。
「これは大変まずいことになったっぽいぞ!早めに対処しといた方が良いっぽいぞ!」と。
で、その日のうちに「これからは『ゆうちゃん』ではなく『ゆうじ』と呼んで」と母に伝えました。
自分のことをどう呼んでもらうか問題はこうして早いうちに片付きましたが、親のことをどう呼ぶか問題は40年以上に及ぶ、難解な問題となりました。

 
「おやじ」という言葉に触れたのは、ファミリードラマを見ているときでした。それが刷り込まれ、「いずれ自分も『おやじ』と言うんだろうなー」と思っていました。
小学時代までは「お父さん」、中学時代は「父さん」、さてさて高校デビューか!と思いましたが、現状維持の「父さん」、1人暮らしを仕出した大学時代も「父さん」。
帰郷したとき、時々、父の居ないところで、母に対して「オヤジは?」と試みてみましたが、本人に向かっては言えずじまい。
仕事をしだし、帰郷する機会も随分少なくなり、その「会っていない時間」の長さが良かったのか、久々帰郷したときに、さも昔から言っていたかのように「父ちゃん」と呼ぶことには成功しました。「おやじ」と呼ぶための一歩前進です。
ま、親からすれば「変えた!こいつ、今、呼び方を変えた!」とばればれだったかもしれませんが。

 
「おやじ」と言う言葉には、人間と人間、という対等な関係のにおいがします。人として「俺も大人になったんだよ」っていう宣言といいますか。
だから憧れていたのかも知れません。
しかし、よくよく考えてみると、心に残る名言は言わなかったものの、長距離トラックの運転手から始めて、知り合いと小さな会社をおこし、働き、2人の子どもを食わせてくれた人は果たして「対等」な人なのだろうか?
父の年齢をたどってきた今だからこそ、その偉業がわかり、むしろ「おやじ」ではなく、「お父様」や「父上」と呼ぶべきなのでは?そんな考えにいたりました。
ちなみに母に対してですが、
「いずれ、『おふくろ』と呼んでやる!」などの野望は昔からこれーぽっちもなく、もともと「敵わない感」があったのかもしれません。
ただ、父と母の呼び方はセットでないと不自然でしたので、父を「父さん」と呼んでる時は「母さん」ですし、「父ちゃん」と呼んでいる今は「母ちゃん」と呼んでます。
上の理屈で言えばこれからは「お母様」や「母上」です。
照れくさいので、「父ちゃん」「母ちゃん」と言いながら態度では敬おうと思います。

 
上岡