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子育て科学アクシスブログ


アメイジング・ジャーニー

皆さんこんにちは、成田です。
 
先日「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」という映画(DVD)を観ました。
いつもながらあまり前情報も持たずにレンタル屋さんをぶらぶらしている中で「ん?面白そう!」と選んで借りてきた映画でしたが、いやあ、考えさせられる映画でした。子どもを不幸な人災で亡くした親が、それでも神を信じ赦さなければならないのか、苦悩する中で出会っためちゃくちゃリアルな神との対話をファンタジックに、でも生き生きと描いています。
原作はアメリカで大ベストセラーになった小説だそうです。
 
一応プロテスタントのミッションスクール出身なんで、この映画の中で描かれる神様(たち)の姿は、衝撃的でもあり、一方で、アメリカ人の考える神様像として「なるほど納得!」でもありました。何より、私たち日本人と比して非常に神様が「近い」ところにいるという感覚は、アメリカ生活で関わった限られた友人たちではありますが、滞在中良く感じていました。
 
一番印象的だったのは、彼ら(アメリカの友人たち)がとても優しいことでした。でも、「優しい」だけのことであれば、当然日本人にだってたくさん優しい人がいます。うまくは表現できないのですが、キリスト教が体にしみわたっている人にとっては、他人の痛みは「本当に」自分の痛みとして感じられるてるような気がします。「これは痛みなんだ」と頭で(いわゆるお利口さん脳で)考えて理解するというのではなく、むしろからだの脳で本能的に感じる感覚に近いもののような・・
 
それだけに、この映画の主人公の苦悩の本当は、たぶん日本人には本質的には理解が難しいのだろうなあ、とも思いました。イエスは聖書の中で罪人を赦し娼婦を赦し、自分を裏切った弟子を赦します。だけど、主人公はどうしても自分の愛する娘を奪った人間を赦すことは出来ない。日本人なら「そらそうだろう」と思うところなんですが、小さいときから日曜日には家族で教会に通っていた身には、一種の自己矛盾になるのですね。だから苦悩する。
 
その彼のこころが、神(これがまた現代風にアレンジされた姿なんですが)の住む小屋で時を過ごすことで雪解けのように変化するさま、そして彼が幼少期から抱えていた罪の記憶に赦しが与えられるさまは、見ている者の緊張を解き、生きるしあわせを感じさせました。
文化の土壌が違うので比較できませんが、死生観の根底に宗教があることの強さを改めて感じました。翻って私たちはどうやってこういう人生の局面を乗り越えればよいのだろう?と考えるきっかけにもなりました。
 
石田純一さんの娘さん、すみれさんも神として出演されててとても素敵です!機会がありましたらぜひ、皆さんもご覧になって何を感じられたか、成田にお伝えくださいませ。
 
成田 奈緒子