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子育て科学アクシスブログ


居候の話

上岡です。

29歳の1年間、東京の先輩宅に居候をしていました。

仕事を辞めて住む場所を固定する必要がなくなり、が、実家に帰るとしても、子育てを終了し自由を謳歌していた両親でしたので、私の部屋は母親の洋服ルームになって住む場所もなく。

はて、どうしたものかと考えていたところ、「うち、来る?」と先輩が声をかけてくれました。

6畳1間。よくもまぁ居候させてくれたもんだと思います。感謝しています。

この時期、とくにすることはありませんが、非常に規則正しい生活をしておりました。

先輩が会社に出かけると、私も朝の散歩に出かけ(やることないのでとても長め。2時間ぐらい)、途中のコンビニで漫画を立ち読みし、お詫びにおにぎりともずくを買って出て、先輩宅に戻り、TVゲームを少しして、インターネットで職探しをし、小説を読み、掃除をし、先輩が帰宅する頃にはご飯を炊いて待っている…。そんな生活でした。

一カ月くらいして、節約生活をしていても貯金はゴソッと減っていく事実に気づきました。社会保険料や国民年金やらで毎月削られ、社会で生きていくというだけでお金はかかるものだと痛感し、一方、給与から勝手に天引きされていた今までと違って、自分で支払っている行為が、自分の中の大人を感じさせました。

 
居候を始めて2か月、その先輩も無職になってしまいました。

「無職になった!」と言いながら帰宅してきた先輩と、玄関入ってすぐの台所で笑いあったことを覚えています。

翌日から2人で散歩に出かけ、2人でコンビニに立ち読みに行き、2人用のゲームをし、2人でいるので世間話をし、東京ライフが賑やかになりました。

その後、先輩も私もなんとか仕事が見つかりました。

 
雇用が始まるまで日数がありましたので、その間、なかなか会えない友達宅に泊まりに行ったり、実家に1ヶ月以上滞在してみたりもしました。

親とスーパーに買い物に行ったり、映画館につれていったり。スクリーンに映った役者を指差し、居間感覚で、「この人、犯人ぽいね」と大声で言う母の映画館に慣れしていない感じ。親のそんな感じたちを過ごし、「こんなに親と一緒に長くいる時間はもうないんだろうなー」と感じていました。

先輩の帰りを先輩宅で待っているときも考えてました。

遅めなのかもしれませんが、そんな区切りのあった29歳でした。

 
上岡