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子育て科学アクシスブログ


散歩の話

上岡です。
 
ダイエットを決意し散歩するようになり早1年半。2㎏痩せました。
何かが間違っていることがわかります。
特に夏の暑いあの日、汗だくに歩く行為からくる疲労感は、カロリーとは関係ない、ただの感情なのでしょうか?
人は亡くなると「21g、体重が減る」ことがあり、そこから「その21gが魂の重さなのではないか」と言われたことがありましたが、
散歩で「死ぬ」ではなく、「死ぬ思い」レベルでは、全く減らないのでしょうか?
この未解決事件の犯人を捜すため、今日も私は散歩に出かけます。
Tシャツに帽子、首回りにタオルを巻くという散歩スタイルで外に出ると、同じスタイルの人に出会います。私たちは瞬時にわかり合い、自然に「こんにちは」と声をかけあいます。全身ビッチビチのスポーツウェアでサングラスをかけ走っている細身の人に出会っても、こうはいきません。あの人たちと私は目指す場所が違います。
私の歩く散歩ロードは並木道で、突き当りまで歩いたらまた戻ります。
対面で「こんにちは」を交わした人と私は自ずもう一度再会します。
日常では挨拶をかわした人と直後に再会することは照れくさく感じるかもしれませんが、このときは互いの健闘を称えあう合図として、軽く会釈します。
 
1時間ほど歩き、家路につきます。
腹が減ります。達成感があります。
「こんなに歩いたんだから、ちょっとぐらい多めに食べてもいいかな」と思います。
はっ!
これだ!
犯人は散歩の後にいました。現行犯逮捕をしながらも、私という刑事は記憶を失い、再び未解決事件となり、今日も炎天下の中、捜査に歩くのです。
なんなんでしょう、食べると言う行為の魔力は!この米の美味しさは!味噌汁の、ラーメンの、カレーの!渋いしゃがれ声での「What a Wonderful World」です。
 
「なかなか痩せないんだよね」と人に漏らしたとき、「それは摂取カロリーが消費カロリーを上回ってるんだよ」とすぐさま正論を言ってくれる人がいます。
 
知っとるわい!
 
私は決して「20代後半からお腹まわりが膨張し続け、昔のズボンがはけない」ことを怪奇現象ととらえて、怯えているわけではないんです。
もしそうなら「摂取カロリーは~」の説明は、私に安心を与えます。「呪いでも病気でもないんだ!」と安心できます。
ちがうので「摂取カロリーは~」の説明は、安心ではなく、ほんのりした虚無感です。「この人とこの話はできないんだ」と、仕方がないけれども諦めます。
 
散歩中、同じルックスをした人とかわす1秒にも満たない挨拶とアイコンタクトと会釈には、
「わかるよ。私とあなたは同じだよ。友人と久しぶりに会うとき、感動的な再会場面を期待するのに、いの一番『太ったね』で片づけられてしまうんだよな。
でも、なかなか痩せられないんだよな。食べちゃうんだよな。歩いたって食べちゃうなら、苦労して歩かずそしてあまり食べない、ことと一緒かもしれない。けど、そういう受け身ではなく、歩くし食べるという攻めの姿勢でいたいんだよな」の共感があります。この共感が安心をくれます。そして頑張ろうと思います。
10歩進んで9歩戻るこの繰り返し。私の痩せた2㎏は、共感というエールの重さですね。
 
上岡
 

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